尾張のうつけ、
天下を望む
1534年、尾張に生まれ、1582年、本能寺に果てた。四十九年の生涯で、戦国の世を根底から覆した男の記録。
うつけ者
父・信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつけ、髻も結わず、奇抜な格好で歩き回った若き当主。家中も領民も「あれは大うつけだ」と嘲笑した。だが、その奇行の下には、誰よりも冷徹な観察眼と、誰も思いつかぬ革新の構想が眠っていた。
天下布武
桶狭間で今川義元を討ち、美濃を奪い、岐阜に「天下布武」の印を据えた。比叡山を焼き、長島の一向一揆を殲滅し、楽市楽座で経済を解き放った。鉄砲三千挺で武田騎馬を粉砕した長篠の戦い。古き秩序は、彼の前で次々と崩れていった。
本能寺
1582年6月2日、未明。京・本能寺。明智光秀の軍勢が四方を囲んだとき、信長はただ一言、「是非に及ばず」とつぶやいたという。弓を取り、槍を振るい、やがて殿中に火を放った。遺体は見つからなかった。革新の覇王は、炎の中に消えた。