問い続けることが、
知への道だった
紀元前470年頃、アテネに生まれ、前399年に刑死した。一冊の著作も残さず、ただ対話によって、人々を「考えること」へと誘い続けた。
石工の子、問いの人
石工の父と助産婦の母のもとに生まれた。若い頃は石を刻んだとも伝わる。やがて彼はアテネのアゴラ(広場)に立ち、政治家にも詩人にも職人にも、分け隔てなく問いを投げかけた。「それは本当に、君が知っていることか?」と。
問答法 ― 産婆術
ソクラテスは答えを与えなかった。代わりに問いを重ね、相手が自分の無知に気づき、自ら真理を「産み落とす」のを助けた。母の助産術になぞらえ、これを産婆術と呼ぶ。彼にとって知とは、教わるものではなく、自ら気づくものだった。
毒杯 ― 信念に殉じる
「若者を堕落させ、神を信じない」として告発され、死刑を宣告された。逃亡を勧める弟子たちに、彼は静かに首を振る。不正な判決にも、自ら従ってきた国法には従う ― それが筋だと。毒杯を仰ぎ、対話の人は生涯を、最後の問いで閉じた。